ある産婦人科医の備忘録

産婦人科医の臨床、研究、考えについて

医療における不確実性

ブラックの Swan Lake Rotoiti ストックフォト

 

医療と不確実なものであるという認識は医療従事者なら多かれ少なかれ持っているものだろう。

医療が対象にするものは機械ではなく人間である。人間は動物であり、自然である。意外とこの認識は薄いのではないかと思う。

ましてや非医療従事者には医療の不確実性を測ることは難しいだろう。司法でさへも医療の不確実性を十分に理解していないような判決が散見される。

 

我々医療従事者の仕事の大きなところとして、いかにこの不確実性を測り、それに備え、それを患者(時に同業者)に理解してもらい、共に意思決定していくかということがあるだろう。

 

まず医療の不確実性と言ってパッと思いつくところで言えばphysicalに関する

・個人の身体特徴 ex) 通常測ることのできない疾患遺伝子の有無など

・身体の変化

・疾患の発生

・疾患の経過

・医学的処置(薬剤投与や手術など)の効果、副作用、合併症

などだろうか。

特に産科領域で言えば胎児機能不全を予測することなど未だ困難である。

上記のような想定される不確実性の全てに備えること不可能である。

それぞれの事象に関する頻度の統計データはあるだろうが、全てが信頼性のおけるデータである可能性は低いだろう。そして、それら全て考慮に入れることは困難であるし、個別のケースに当てはまるとは限らない。

しかし、医療従事者はこれらの不確実性に対応することを国民から期待されている。

 

そして、医療における不確実性とは上記だけではない。

・患者の価値観、正確、志向

・患者の数

・医療資源の質と量 設備やマンパワー

・職場環境 上司、同僚、部下の性質

・他の医療従事者

・社会情勢

・医療供給

・法、制度改正

・自身の健康

などあらゆるものがある。

 

これらあらゆる変数が互いに影響しながら臨床が行われている。

我々は不確実性に対処することに努力をすべきであるし、それが仕事である。

しかし、改めて言うが人間とは自然であり不確実なことが起こり得るのである。医療従事者だけでなく国民や司法へもこの不確実性への理解を促進する必要があるだろう。

不確実とはリスクであり、恐怖である。ゼロリスクを望む心理的な反応は理解可能である。しかし、現実として、人間として社会で生きていく上で不確実性から逃れることはできないのである。なので、それに対応していく努力を続けるしかないのである。

明日車に轢かれるかもしれない。明日災害にあうかもしれない。それでも生きていくしないのである。